「自己責任」とか言う人に、これからは「江戸時代の村人と同じだね☆」と言い返そうと思います。

「自己責任」とか言う人に、これからは「江戸時代の村人と同じだね☆」と言い返そうと思います。

https://www.huffingtonpost.jp/karin-amamiya/self-responsibility-japanblog_a_23610072/?ncid=other_twitter_cooo9wqtham&utm_campaign=share_twitter
相互扶助の社会だったと見られている江戸時代も、自己責任をよしとする社会だったそうだ。貧しくて年貢を収められない世帯があれば村が救済にあたるものの、そこには社会的制裁も伴ったという。また、その人の素行を見て「救済するかどうか」を決めた形跡も見えたという。自己責任社会の伝統には、300〜400年の蓄積があるというのだ。 「昔はよかった」「昔の人はもっと助け合った」「昔はもっと優しい社会だった」 多くの人が口にする言葉ではないだろうか。が、よくよく考えてみるとその言葉にはなんの根拠もない。ただなんとなく「日本昔話」みたいなイメージの中の「昔」があるだけで、そこに都合のいい幻想を投影しているだけの話である。そう思って「昔」を描いた作品などを思い出すと、明治生まれの女を描いた「おしん」は悲惨すぎる話だし、最近読んだ『農家女性の戦後史』という本には、明治生まれの舅や姑の意地悪率が異常なほど高く、嫁いびりの凄まじさに「核家族万歳」と叫びたくなるほどだ。「昔はよかった」なんて言葉が裸足で逃げ出すほどに、多くの場合、昔はひどい。そもそも女や貧乏人に人権などない。 さて、木下氏の指摘に興味を持った私は、さっそく氏の書いた『貧困と自己責任の近世日本史』を購入。3800円もしたが買い求めた。 そうして一気に読み終えたのだが、「いやー、昔はひどかった」と今、声を大にして言いたい。日本人が冷たいのって今に始まったことじゃなくて、ずーっと前から自己責任社会だったんだ、ということがよくわかる。それだけではない。「自己責任バッシング」のディテールが、今のネットでのバッシングとほとんど変わらないのだ。江戸時代の村人、藤右衛門とマツが田んぼのあぜ道とか神社の裏とかでコソコソ言ってたことが、今、ネットに書かれているだけの話なのである。 例えば大和国平群法隆寺村(現奈良県斑鳩町)ほか10カ村では、1837年(天保8年)、村から公的に「施し」を受けた者に対しての申し合わせが取り交わされている。 その内容は、村からタダで米を施された以上、受給者は衣服や履物、髪飾りといった「見た目」でも、常日頃から行動を慎むべき、というような内容で、成人男性に対しても「羽織、雪踏」という正装を禁じている。期間は「一代限り」となっており、子や孫に受け継がれることはないようだが、一代と言えば「長ければおよそ20〜30年にもおよぶ行動規制」である。しかもこの時期は、飢饉によって社会全体が苦境に立たされていたそうだが、そんなことはおかまいなしに「村に迷惑をかけた者」は厳しい制裁の対象になっていたのである。リーマンショックが起きた年の末に開催された年越し派遣村に、「自己責任」と言った人がいたのと同じ構図だ。 それだけではない。 「実際に施行米をうけた世帯の構成員全員(子どもも含む)から署名と捺印をとりつけることで、誰が辱めをうけるべきなのか、村の公文書上でもはっきりとさせようとするものなのであった」 この大和国平群法隆寺村以上に「踏み込んだ制裁」を発動させたのが、1867年の河内国丹北部若林村(現大阪府松原市)である。この時期は物価の高騰により、困窮に陥る人が多く出たようである。そんな人々に村は「温情」を与えるが、この温情が、厳しい制裁を伴っていたのである。 まず、困窮するのは「日頃から自助努力を怠ってきたせい」であるとし、施行を受けるかわりに、いろいろと決まりごとを作ってそれを5年間守るように通達した。その内容は、「日笠をさすな」「雪踏を履くな」「絹織物を着るな」といった「小姑」を思わせるみみっちい服装禁制や、大酒を飲んだり物見遊山を禁じるものだった。それだけでない。 「施行受給者の名を、住民が日常的に集う村の髪結床、そして受給者各戸の軒先にわざわざ張り出して、誰が村に迷惑をかけたのかを白日の下に晒そうとした。さらに受給者は、施行米の原資を提供した『施主人』(「高持一同」)の屋敷へうかがう際、門の手前から履き物を脱ぎ、極めて低姿勢で敷地内に「這い入る」ことが求められた」 なんかもう、これを考えついた人の底意地の悪さに脱帽である。でも、昔話にはこういう意地悪なことばっか思いつく天才ってつきものだ。なんか「一休さん」とかにいなかったっけ、こういう人。ていうか一休さんて何時代? しかし、これだけ屈辱的、差別的な扱いを受ける人々の姿は、「施しを受ける」ことをためらわせるには十分だったろう。よって、どれほど生活に困窮していても「タダで助けてもらうなんていたたまれない」「申し訳ない」という思いから、一家総出で夜逃げするケースなどもあったという。施しを受けた人への制裁が、人々の自己責任論をより強化する。 

ここまで読んで、現代とのあまりの符合に驚いた人も多いのではないだろうか。 生活保護受給者はそれらしくボロを着ていろ、無駄遣いをするな、酒を飲むな、パチンコをするな、ギャンブルをするな等々の声は、21世紀の日本にも溢れかえっている。生活保護受給者がパチンコなどをしていたら通報するようにと呼びかける自治体もあるし、監視を勧めるような条例がある自治体だってある。天保8年とかからもう200年近く経とうというのに、この国の価値観は「江戸時代の村人」から、ちっとも進化していないのだ。 

著者はこのことについて、以下のように書く。 「『不実/我侭』な村人の救済度合いを低く見積もった1800年大和国山之坊村の姿勢と、水際作戦で生活保護申請を認めず、結果として40代の姉妹二人を餓死させた2010〜12年の札幌市白石区福祉事務所の態度とは、異質なものではなく、同じ土俵上にある同質の問題だといえよう」