正気ですか?「パン屋は愛国心が足りない」という道徳教育の愚

正気ですか?「パン屋は愛国心が足りない」という道徳教育の愚
政治と道徳の笑えない関係

「パン屋背徳事件」を永遠に記憶せよ

日本の道徳教育の歴史に、新たなる1ページが付け加えられた。
小学校道徳の教科書検定で、文部科学省が「我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着をもつ」(「学習指導要領」)との点が足りないと指摘し、ある教科書会社が「パン屋」を「お菓子屋」に書き換えたというのである(3月24、25日付新聞各紙報道)。
このシンボリックな一件は、「パン屋背徳事件」とでも名づけて、永遠に記憶されるべきだ。
由来、道徳教育はつねに政治に翻弄され、ときにでたらめな議論や記述が横行してきた。今回の事件もさほど驚くべきことではない。おそらく今後も似たようなできごとが繰り返されるだろう。
それをできるかぎり防ぐためには、われわれが道徳教育に関心を持ち、これを継続して批判・検証していくほかない。そこで、今回の「パン屋背徳事件」を奇貨として、道徳教育の歴史を振り返り、今後の展望を考えてみたい。

戦前の修身は激しく移り変わった

そもそも道徳は、明治時代から政治に翻弄されつづけた教科である。
当時、道徳は修身と呼ばれた。修身は、明治維新当初かならずしも重視されていなかったが、啓蒙主義自由民権運動を抑える狙いなどから徐々に重視され、「改正教育令」(1880年)で諸学科の筆頭におかれた。
教科書も、当初こそ民間の書物が自由に使われていたものの、やはりこれでは啓蒙主義自由民権運動を学校に持ち込まれてしまうとして、段々と規制が強化され、1904年ついに国定制(小学校のみ)に移行した。
つまり、文部省が教科書を直に編纂・刊行するかたちとなったのである。
国定の修身教科書(修身書)は、都合4回全面改訂され、全部で5種類刊行された。その内容は、政治によって文字どおり大きく左右された。
第1期の修身書は、日清戦争日露戦争の間に編纂された。日本はまだ近代化=西洋化の途上だったため、その内容は意外と開明的であり、博愛、親切、清潔、正直、勤勉など近代的な市民倫理が多く掲載された。ワシントン、ジェンナー(種痘法の発見者)、ネルソンなど外国人の活躍も広く紹介された。
ところが、第2期の修身書では、その内容が一変した。
日露戦争後の社会の混乱(社会主義の流行など)に対応するため、忠君愛国や家族主義が強調されたのである。その結果、近代的な市民倫理は後退をよぎなくされた。なお、負薪読書の像で知られる二宮金次郎が重視されたのは、この時期のことだ。
もっとも、つづく第3期の修身書では、行き過ぎた国家主義がやや緩和された。第1期ほどではないものの、近代的な市民倫理が増加し、忠君愛国が減らされた。また、国際交流に関する内容も追加された。
この背景には、第一次世界大戦の勃発があった。「一等国」にふさわしい国民を育てるため、いわば国家主義と国際主義の中間が取られたわけである。
しかるに、第4期の修身書は、ふたたび国家主義に逆戻りした。満洲事変後に編纂されたため、「国体観念」や「日本精神」が重要なテーマとなり、「天長節」「紀元節」「明治節」など天皇関係の教材が加えられた。「君が代」も、天皇讃歌としてこのときはじめて単独の項目でとりあげられた。
そして第5期の修身書は、さらに国家主義を推し進め、超国家主義軍国主義的な内容にいちじるしく傾斜した。日中戦争と太平洋戦争のさなかに編纂・刊行されたのだから、当然の帰結だった。
個人に関する道徳は限界まで減らされ、反対に国家に対する道徳は全体の半数近くにまで増えた。陸軍の介入で、軍事教材も大量に追加された。一方、外国人の登場はジェンナーただひとりになった。
以上を大雑把にまとめると、戦前の修身は時代に応じて、日清戦争開明的→(日露戦争国家主義的→(第一次世界大戦)やや開明的→(満洲事変)国家主義的→(日中戦争超国家主義、と激しく移り変わったことになる。
このように修身の内容は、政治に激しく翻弄された。戦後、修身の復活論者が絶えないが、かれらは修身のどの部分に着目しているのか、しっかり問わなければなるまい。
(以上、国定修身書の内容については、海後宗臣編『日本教科書大系』および唐澤富太郎『教科書の歴史』によった)

戦後の道徳教育は保守派の念願だった

さて、太平洋戦争の敗戦後、GHQの指令で修身の授業は停止され、国定教科書は回収された。教科書の国定制も検定制に改められた。
そして1947年、小中学校で修身などに代わる社会科の授業がはじまった。社会科は、戦後民主主義を支える新しい教科として期待された。
だが、保守派は虎視眈々と修身の復活を狙っていた。かれらは、犯罪増加やデモなど様々な社会問題の原因を道徳教育の欠如に見いだしたのである。
1951年GHQの占領統治が終わると、その動きは一層活発となった。そして第二次岸信介内閣時の1958年、「学習指導要領」が改訂されて、「道徳の時間」が特設された。いわゆる「特設道徳」だ。
道徳の教科化には、日教組を中心に根強い抵抗があった。そのため、「特設」という中途半端なかたちでの導入となり、その授業内容も地域や時代によってバラバラの状態が続いた。保守派は、その後も道徳の教科化を諦めなかったが、保革対立のなかで長らく果たせずじまいだった。
ようやく大きく動いたのは、遅れて第二次安倍晋三内閣のときだった。
2013年、首相の私的諮問機関である教育再生実行会議の第一次提言で、道徳の教科化が「いじめ対策」として打ち出された。そして、中央教育審議会などの検討をへて、2015年「学習指導要領」が一部改正されて、道徳が「特別の教科」として教科化されたのである。
道徳の教科化は、小学校では2018年度より、中学校では2019年度より実施される。冒頭で紹介した小学校道徳の教科書検定は、これに備えて行われたものだった。
戦後、保守派は様々な社会問題を解決する特効薬として道徳教育の導入・強化を主張しつづけた。その動きは革新派によって阻まれていたが、90年代以降その退潮によって抑えがなくなり、ついに道徳の教科化を実現するにいたったのである。
このように道徳教育は、戦後も政治の動きと不可分だった。

政権周辺で杜撰な教育論が横行

道徳教育はかならず政治に翻弄される。これは避けられない。そして道徳教育が中立的でも科学的でもありえない以上、そこにはつねに価値観の押しつけなどの問題が含まれてしまう。
そこで、道徳教育に対してつぎの3つの対応が考えられる。
①政治家や文部科学省に道徳教育への介入を諦めさせる。
②国民が積極的に関与して道徳教育をよりよい方向に導く。
③国民が道徳教育など保守派の玩具だからと笑い飛ばして無視する。
戦後長らく、日本社会では①と③が主流だった。革新派が道徳の教科化を食い止め、ノンポリな多くの国民は道徳教育など意に介さなかった。これはこれで、ある時期までうまくいっていた。
ところが、先述したように、90年代以降保革対立の構図が崩れ、保守派が伸長するなかで、道徳の教科化が実現するにいたった。いまや国民の無関心をよそに、政権に近い保守系論者たちによる杜撰な教育論がとめどなく影響力を増している。
ここで少し、首相の私的諮問機関などの周辺で語られてきた教育改革の議論を振り返ってみよう。
教育改革国民会議小渕恵三森喜朗内閣)の報告書では、「いじめ、不登校、校内暴力、学級崩壊、凶悪な青少年犯罪の続発など教育をめぐる現状は深刻であり、このままでは社会が立ちゆかなくなる危機に瀕している」「子どもはひ弱で欲望を抑えられず、子どもを育てるべき大人自身が、しっかりと地に足をつけて人生を見ることなく、利己的な価値観や単純な正義感に陥り、時には虚構と現実を区別できなくなっている」などと無根拠に決めつけられ、「学校は道徳を教えることをためらわない」「奉仕活動を全員が行うようにする」などとの方針が打ち出された。
教育再生会議(第一次安倍内閣)では、「『親学』に関する緊急提言」が一時検討され、「脳科学では5歳くらいまでに幼児期の原型ができあがる」などとして「子守歌を歌う」「授乳中はテレビをつけない」「早寝早起き朝ご飯」などの具体案がまとめられた。
これはさすがに自民党内でも問題視されて取りやめになったが、「親学」自体はその後も保守派の教育論として一定の影響力を保っている。
それ以外にも、「限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養ってもらえばいい」(三浦朱門)とか、「子どもを厳しく『飼い馴らす』必要があることを国民にアピールして覚悟してもらう」(教育改革国民会議第一分科会配布資料)とか、「日教組をぶっ壊すために火の玉になる」(中山成彬)とか、問題含みの発言や資料はこの時期枚挙にいとまがない。まさにタガが外れたかたちだ。
さらに2014年小中学校に配布された文部科学省製作の道徳教材『私たちの道徳』には、歴史的な根拠に欠ける「江戸しぐさ」なる風習があたかも史実であるかのように紹介されたこともあった。
詳細は拙著『文部省の研究』に譲るが、ここ約20年間の教育改革ではかくも杜撰で異様な議論が横行していたのである。

道徳と教育のこれから

道徳の教科化は、こうした一連の教育改革の集大成であり、安倍政権にとっても誇るべき成果でもある。したがって、安倍政権下の文部科学省が片言隻句にこだわって徹底的に道徳教科書を検定し、教科書会社がそれを慮るのもやむをえない。
そのなかで「パン屋背徳事件」のごときものが出てきても、とりたてて驚くに足りない。むしろこれくらいで済んでよかったとすらいいうる。
ただ、これ以上の問題発生を防ぐためには、われわれが無関心を捨てて、政治家や文部科学省に道徳教育への介入を断念させるか、あるいはみずから積極的に関与して道徳教育をよりよい方向に導くしかない。
今回の「パン屋背徳事件」は、道徳教育に対する国民の関心を高めたという点で怪我の功名だった。
今後グローバリズムナショナリズムに対応するためさらなる教育改革が進められるだろうが、そこではできるだけ合理的で、柔軟な議論が求められる。
そうしなければ、第二、第三の「パン屋背徳事件」がより深刻なかたちでわれわれの目の前に現れるだろう。そして今度こそは、われわれもこれを笑って済ませられなくなるかもしれない。
本稿で扱ったテーマは、近刊『文部省の研究 「理想の日本人像」を求めた百五十年』(文春新書)でも掘り下げている。「文部省の真の姿」に迫った1冊、どうかご高覧ください。
(バックナンバーはこちら http://gendai.ismedia.jp/list/author/masanoritsujita