学校関連の事件:加害者側の事件正当化の論理

学校関連の事件:加害者側の事件正当化の論理

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犯罪社会学者のサイクスとマッツァが、非行少年たちの言い訳の内容を研究して分析・類型化した「中和の技術(Techniques of Neutralization)」という論文によると、自己正当化の類型として以下のような分類をおこなっている。
1. 責任の否定
2. 加害の否定
3. 被害者への拒否
4. 非難者への非難
5. より高い価値への忠誠心への訴え
 
そしてこの「中和」は、池田町の事件だけでなく、各地で起きた「体罰」「不適切な生徒指導が問題になった事件」「教師の生徒いじめ」での加害者側や学校側、加害者教師の取り巻きの主張にも当てはまると指摘している。 内藤氏は、各地の学校関係の事件を分析する中で、学校側や加害者支持者がおこなう主張は以下のように分けられると指摘している。
1. 責任の否定: 通常の指導をしていただけで、障害や死亡との関係はない。
2. 加害の否定: 教育的な指導をしただけで、加害行為をしていない。
3. 被害者への拒否: 先生の言うことをきかない生徒が悪い。あいつは学校の「みんな」や先生をこまらせるやっかい者だ(あいつの方が真の加害者だ)。
4. 非難者への非難: 教育のことを何もわかっていないよそ者が勝手に非難している。おまえは学校が嫌いなだけだろう。おまえこそ口をつつしめ。
5. より高い忠誠心への訴え: 学校業界固有の聖なる価値〈教育〉が、現代市民社会の根本価値とされる人間の尊厳より高い価値があるかのようなムードをつくる。そして、次のように、加害者を教育価値への忠誠者であると訴える。
これは「教育熱心のあまりのいきすぎ」であり、将来あるセンセイを寛大に扱うべきだ。(露骨に言葉にすると差し障りがあるので、みんなのムードを感じ取ってほしいが)われわれの本当の実感としては、わたしたちが共に生きる、うつくしい教育の形は、死んだり障害を負ったりした「不適応」生徒の命よりも尊い