自民党はデータと事実を捨て、近代国家を放棄する覚悟があるか ー 高度プロフェッショナル制度の委員会採決を巡って

自民党はデータと事実を捨て、近代国家を放棄する覚悟があるか ー 高度プロフェッショナル制度の委員会採決を巡って


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近代とはどういう時代であったか。それは、ルールの確立と科学の浸透の時代であった。呪術的な権力を保持していた王政が打倒され、市民革命が起きた。近世に始まった科学が更に浸透し、迷信や宗教的にタブーとされていたことが次々と覆り、明るい光が当たった時代だ。地球は太陽の周りを回り、人間は猿から進化し、ハンセン病は前世の因縁ではなくマクロファージによるものだとわかった。科学は、全てを事実に基づいて判断する。それがどれほど今までの見解と違っていても、実験によって証明されなければ科学ではない。すなわち、近代的思考とは科学的思考であり、科学的思考とは、事実を直視する思考なのだ。近代国家とは、まさに事実に基づいて政策を意思決定することによって成り立っていた国家だったはずだ。 今日の委員会採決において政府が行ったことは、事実に基づいて意思決定をする、という近代国家の最低条件を満たしていなかった。すでにある結論に向け、事実を捻じ曲げたのだ。これほどまでにデータやファクトが軽んじられたことは、立法府において、私の記憶する限り一度もない。我々はよく知っている。戦艦を沈めたはずの爆撃機が、実は小舟一つ沈めていなかったことを。そして、その結果日本がどのような煉獄に突き進んでいったか、ということを。事実を直視できない国家がたどる末路は常に哀れなものだ。だからこそ、近代国家はまじない師の言葉ではなく、常に事実に基づき物事を合理的に決めてきたのだ。

近代を捨てる覚悟を問う

高度プロフェッショナル制度の法案自体の酷さは言うまでもない。しかし、その採決に至る経緯は、我々が近代国家として守ってきたはずの、最低条件たるデュープロセスをずたずたに引き裂くものだった。 与党の一人一人の議員は、今まさに、日本が近代国家としての最低条件を、自ら投げ捨てていることに気がついているのだろうか。