。「五輪で国の一体感を主張するのに、社会的弱者に冷たい人」というパターンの人は、恐らく、国民の共同体意識を感じているのではなくて、単に強者とか権力に憧れて「国」を強調しているだけなのではないか。そうい



「五輪で日本の一体感を否定する者は、共同体意識が弱いから、同じ社会の中の助け合いにも冷たいだろう」という意見があるが、逆に、五輪で一体感を感じる人が助け合いに熱心というわけでもない。結局、五輪で日本としての一体感を感じるか否かとは関係なく、共同体の弱者に冷たい人は冷たいのだろう。要するに、五輪で日本としての一体感を感じる人も、また感じない人も、どっちにしても、国や共同体の中の弱者に冷たい人は冷たいのだろうし、助け合いを考える人は考えるだろう、ということで、個人差の問題という極々常識的でつまらない結論におちつく。これだけでは平凡過ぎるので一言付け加える。「五輪で国の一体感を主張するのに、社会的弱者に冷たい人」というパターンの人は、恐らく、国民の共同体意識を感じているのではなくて、単に強者とか権力に憧れて「国」を強調しているだけなのではないか。そういうのを“保守”には含めたくないものである。