関東大震災の「朝鮮人虐殺はなかった」という人びと 「歴史修正主義」本を検証してみた(加藤直樹)

関東大震災の「朝鮮人虐殺はなかった」という人びと 「歴史修正主義」本を検証してみた(加藤直樹


工藤夫妻はこの虐殺を「なかった」と主張する。夫妻の主張は、朝鮮人独立運動家たちが震災に乗じて暴動を起こしたのは流言ではなくて事実であり、自警団の行動はこれに対する正当防衛だった、その事実が忘れ去られたのは、当時の政府が隠ぺいを図ったから――というものだ。この驚くべき新説を、彼らはどのように証明するのか。彼らが示す“証拠”は、震災直後の新聞記事の数々である。そこには確かに、「不逞鮮人二千が腕を組んで横行」「二百人の鮮人抜刀して警官隊と衝突」といった、朝鮮人の暴動を伝える見出しが並んでいる。だが、これらは震災直後の混乱の中で出回った虚報・誤報であり、流言研究、メディア研究の対象となってきたものだ。虐殺関連の史料集などにも収められている。実際、工藤夫妻もそうした史料集からこれらの記事を探してきている。震災直後は、在京の新聞社のほとんどが壊滅し、「朝鮮人暴動」だけでなく「伊豆大島沈没」「富士山爆発」「名古屋も壊滅」といった誤報も氾濫している。混乱が落ち着いたころには、それが虚報・誤報であったことは自明となった。富士山爆発も朝鮮人2000人の大行進も、結局、誰もその目で見たわけではなかったのである。

震災後にまとめられた内務省や警視庁、司法省の震災総括文書でも、朝鮮人独立運動家のテロや暴動など存在しなかっと記されている。ところが工藤夫妻は、これに対して、“当時の日本政府が暴動を隠ぺいしたのだ”と主張する。“政府の隠ぺい”の証拠として彼らが明示できるものは、しかし、たった一つの“証言”しかない。その内容は、当時の内務大臣・後藤新平が暴動の隠ぺいを内々に認める発言をしている/それを当時の警視庁官房主事であった正力松太郎が聞いた/ということを、戦後、ベースボールマガジン社創始者である池田恒雄氏という人が正力から聞いた/ということを、池田氏から工藤夫妻が聞いた―というものだ。つまり直接には池田氏から工藤夫妻がそう聞いた、ということだけ。文字すら残っていないようだ。大正時代の震災の話だというのに戦後の野球界から唐突に呼び出されるこの池田恒雄氏とは、いったい誰だろうか。工藤夫妻はこの本の中で一言も明らかにしていないが、なんと工藤美代子氏の実父(つまり加藤康男氏の義父)である。しかも池田氏はこの本が出る前に他界している。果たして、こんな話を“証拠”として受け取れるだろうか。要するに、「朝鮮人虐殺はなかった」「自警団の正当防衛だった」という彼らの新説の証拠は、当時の流言を記録する史料としてよく知られてきた震災直後の新聞記事と、“私だけが聞いた、お父さんの一言”だけなのだ。まともな論理としては破綻している。