先の戦争で命を落とした人々のお陰で今の日本があるって、まるで日本が侵略戦争に立ち向かって戦ったかのようは言い方だね。逆だから、逆。日本は侵略者で返り討ちにあって徹底的にやられた。死んだ人は無駄死にで、



先の戦争で命を落とした人々のお陰で今の日本があるって、まるで日本が侵略戦争に立ち向かって戦ったかのようは言い方だね。逆だから、逆。日本は侵略者で返り討ちにあって徹底的にやられた。死んだ人は無駄死にで、戦犯は当然の報い。
ピノコさんがsparkをリツイートしました
確かに、日本が植民地で解放のために命を落としたというのならば、「お陰でいまの日本がある」と言えますね。フィリピンだったら革命初期にスペインに銃殺された著述家のホセ・リサールみたいに。そういう状況だったら私もその人を誇りに思うことができるだろうに。。。逆ですね。
「先の戦争で命を落とした人たちのお陰で今がある」みたいな論理は、ぼくには無責任な感傷としか思えない。異国のジャングルの奥地で餓死や疫病により死んでいった人たちの死に、一体どんな「意味」があったのか。ただただ無意味に彼らを「殺した」という事実を、我々はいい加減に認めるべきだ。こういうことをいうと、「英霊の死は無駄死にだったというのか! お前はひどい奴だ!」などと感傷的に謗られるかもしれないが、ぼくは無駄死にだったと思う。「無駄死に」という言葉に抵抗があるなら、「無駄殺し」だといってもいい。あの集団狂気の中で、我々は多くの人間を無駄に「殺した」のだ。
殺人犯に殺された人の死に方を「悲惨な死に方だった」と評することは、死者を冒涜する態度ではない。同様にして、特攻による死に方を「無駄死に」と呼んだからといって、死者を冒涜したことにはならない。「悲惨」「無駄死に」という評価は、死者本人ではなく、その死に方への言葉であるに過ぎない