「本当に、「日本に家族保護条項は必要」なのか?」打越さく良(弁護士・夫婦別姓訴訟弁護団事務局長)

(7.7報告③)まやかし「加憲」も「改憲」も、どっちも危ない!-24条が安倍政権と改憲右派に狙われる理由

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打越さく良(弁護士・夫婦別姓訴訟弁護団事務局長)
「本当に、「日本に家族保護条項は必要」なのか?」

 今回は憲法24条に加えることが必要、だと一部で言われている「家族保護条項」について考えてみたいと思います。そのためにここでは、「必要派」の伊藤哲夫氏、岡田邦宏氏、小坂実氏の共著『これがわれらの憲法改正提案だ』(日本政策研究センター、2017年)から、
 小坂氏論文「憲法に『次世代を育成する』家族保護条項を」
と、著者3名による鼎談、
「討議 『改正反対論への反駁3 家族を否定すれば個人の基盤も壊れる』」
をとりあげて検討してみましょう。
 まず、小坂論文は「家族」について「次世代の再生産機能を担う集団」「社会を構成する最も基本的な単位」という2点については「ほぼ普遍的な共通認識」と断言しています。でも、家族の概念は、歴史の中で変わってきています。現代家族に「公序のため」といわんばかりのこれらの旧弊な認識は馴染まないのではないでしょうか。
 また同論文は、「家族保護条項は(世界各国で)ほぼ一様に規定されている」としていますが、「国際人権条約」の家族規定も、各国憲法における家族規定も、様々です。中でも先進資本主義国家型憲法ではむしろ家族の中の個人を守る「母性保護」、「婚外子保護」などを備えるなど、社会権的規定を重視しています。
 そもそも小坂論文は、世界人権宣言等を一部だけ切り取って取り上げる一方で、その前提として同宣言に書かれている「自由、平等」には触れなかったり、より新しく制定された、自己決定権や実質的平等を志向する「女性差別撤廃条約」や、「ILO156号条約」等をすっかり無視したりしています。それは恣意的な取り上げ方ですね。
 そして同論文は少子化対策のために、比較的高い出生率のフランスやスウェーデンのような「家族保護規定」が必要、としていますが、2国とも家族手当や手厚い育児支援婚外子保護など多様な家族のあり方を尊重していることが高い出生率の背景と言われています。一方日本の晩婚化、晩産化の原因は若い世代の所得の減少や、性別役割分業が未だ強固で女性に家事育児が偏っていること等による部分が大きいもの。右派が主張する、多様な家族や個人の尊厳を否定しかねない家族保護規定は、少子化対策とは逆行するのではないでしょうか。
 実はこの3者による鼎談では、私が「家制度の復活」を目論んでいると彼らを決めつける「デマゴギー」とやり玉に上げられています(笑)。ですが、個人主義を後退させ、共同体としての家族の価値を称揚し、男女不平等に家族における役割を果たせと呼びかけること、また婚姻における平等や当事者の合意という横のつながりではなく、血縁を強調し縦の流れを重視して、孝養、扶養の義務を唱える彼らの考え方は、まさに家制度のエッセンスを復古しようとするものではないでしょうか。
 また、家族の戸主に対する従順と忠実が天皇に対する国民の従属と忠実とパラレルである点も、家族、地域社会、国家における役割を並べて指摘する改憲右派の議論と重なっていますよね。社会福祉政策を充実させるよりその機能を家が肩代わりせよという志向にも、戦前の家制度の残滓を色濃く感じます。
 このように考えると、やはり、「家族保護条項(規定)」は、日本には必要ないものであり、ましてや24条に加える必要などまったくない、と思います。