「24条から自衛隊明記・緊急事態条項を斬る!」清末愛砂(室蘭工業大学大学院工学研究科教員)

(7.7報告②)まやかし「加憲」も「改憲」も、どっちも危ない!-24条が安倍政権と改憲右派に狙われる理由

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清末愛砂(室蘭工業大学大学院工学研究科教員)
24条から自衛隊明記・緊急事態条項を斬る!」

 ここでは、自民党が最初の改憲ターゲットとしている4項目のうち、9条への自衛隊明記問題と緊急事態条項の新設問題に着目し、24条の精神に基づいて批判したいと思います。それに先立ち、非暴力と平和主義の観点から24条の意義を再考してみましょう。重要なポイントは次の4点です。
家制度の廃止を含む、明治民法の大改正をもたらし、女性に解放と自由を実現させた。
現存する(近代)家族内の性別役割分担に基づくジェンダー差別や、暴力に抗する権利を規定している。
男性支配に基づく軍隊秩序および軍事主義が、その維持・拡大のために必要としてきた特定の「家族秩序」を否定するものであり、9条とともに平和主義を構成している。
前文にうたわれた「恐怖と欠乏からの解放」によって成り立つ平和的生存権と25条(生存権)は、とりわけ「欠乏」という面で結びついている。また24条の個人の尊厳を前提として25条が存在していることから、結果的に24条は前文の平和的生存権と25条を結ぶ役割を担っている。
 ここからわかるように、24条は、非暴力をベースとする平和主義/平和的生存権を構成するうえで重要であり、前文、9条、13条、14条、25条と一体として認められる条文です。
 その24条に「世代間助け合いによる社会保障の維持のために、『家族の保護』を導入すべき」と主張する人々がいます。しかしそれは24条の示す個人の尊厳を踏まえつつ生存権社会保障に触れた25条の下でこそ、拡充すべきもの。24条にそのような文言を導入する必要はまったくありません。
 では、自衛隊明記論と24条の関係はどう見るべきでしょうか?
 上述のように軍事主義を明確に否定する観点からすれば、24条の意義や精神は自衛隊明記論とは真っ向から対立するものです。そもそも自衛隊の装備や人員等を見るならば、それは自衛力として説明できるようなものではなく、憲法が保持を禁止する「戦力としての軍隊」であることは明らかです。まずはここから、自衛隊明記論を問題とすべきです。9条への自衛隊明記を単なる<加憲>と考え、それを安易に認めると、安全保障法制下での軍事主義の拡大を肯定することにもつながります。
 また、法学では常識である「後法優先原則」(=後に加えられた条文は以前からある条文より優先される)により、「自衛隊明記」をすることは現行の9条1項と2項の「死文化」を意味します。このようにして最初の明文改憲が成功すれば、第2のステップとして右派が目標とする9条2項の改正が容易になり、自衛「軍」の設置が求められることになるでしょう。私たちの未来や次世代への影響を考えると、今ここで軍事主義の拡大につながる道を開くことは、大変危険であると言えます。
 もうひとつの加憲項目、「緊急事態条項」の新設は、自然災害対策を前面に押し出し、国民に受け入れやすい形で主張されてきました。しかし権力の濫用を可能にする同条項新設と、自衛隊明記が実現されてしまうと、たとえば自衛隊が堂々と「公共の秩序の維持」(自衛隊31項)の名目で、各種の市民団体や労働組合等で活動する民衆の「鎮圧」を行う可能性が高まります。とりわけ沖縄の反基地運動への行使が懸念されます。また、同条項が長期政権維持の手段として用いられ、憲法改正などに利用される可能性もあります。このような強権的政府が支配する社会というのは、「個人の尊厳」をうたう24条の意義や精神に反するものと言えるのではないでしょうか。