自由はある日突然なくなるものではない。…目立たない形で徐々に蝕まれ、気がついたときにはすべてが失われているような過程をたどります。わずか数十年前に、このような経験をしたわれわれは、将来に向かって自由の


いまの教育システムを見ていると私はたいへん心配です。画一的な教育が行なわれているんじゃないか。ある意味で非常に従順な国民ができつつあるのではないか、と。危ないぞ、と私は言いたい。テレビを観たって、新聞を読んだって、みんな同じことを言っている……(『21世紀への委任状』p.17)
やはり、「複数の価値観、みんなが自分の価値観をそれぞれもって生活設計することが、大事なんだ」ということが認められてこないと、本当の自由な社会はできにくい。(『21世紀への委任状』pp.17-18)
自由は突然なくなるのではない。だんだんなくなっていくんです。気がついたときには酸欠でどうにもできなくなっている。はじめのときを気をつけるしかないのです。自由が侵されそうになるあらゆる兆しに、厳しく監視の目を向けなければならないのです。(『21世紀への委任状』p.18)
自由はある日突然なくなるものではない。…目立たない形で徐々に蝕まれ、気がついたときにはすべてが失われているような過程をたどります。わずか数十年前に、このような経験をしたわれわれは、将来に向かって自由の制限につながる…兆候に対し…監視する必要があります(『新・護憲宣言』p.3)

半生を振り返って思うことは、再び自由が失われた社会にだけはしてはならないということ…。…子供たちが慰問袋を見ることのない時代が六十年余り続いてきた。慰問袋や千人針が本当の死語となり、歴史のかなたに忘れ去られてしまうことを私は強く願っている(日経新聞私の履歴書」060401付)