安倍首相謹話の「慎んで」
安倍首相謹話の「慎んで」
「漢字の使い分けときあかし辞典」(円満字二郎著、研究社)にも「他人を重んじる場合には、その意味合いをはっきりさせるために、《謹》を用いる」とあります。「慎んで」が「謹話」としての字にふさわしくないことは明らかです。
実は首相談話の「慎んで」のおかしな使い方はこれが初めてではありません。例えば
と、ここ2年の戦没者追悼式の首相の式辞に「慎んで」が使われました。
ちなみに野田内閣(12年6月6日)や小泉内閣(04年12月18日)の時の謹話には「謹んで」が使われています。
フロイトの「精神分析学入門」では、言い間違いや書き間違いと、本人の深層心理との関連が述べられています。いや、安倍首相が本心では「謹んで」ではなく「控えめに」という気持ちがあるから「慎んで」の字となって表れた――なんて邪推するつもりはありません。第一、首相みずから書くとはとても思えませんから。しかし誰が書いたにせよ、間違いが発生する場面のフロイトの分析は参考にしてもよいかもしれません。
いずれも、ブログやツイッターで取り上げましたが、「細かいことで揚げ足を取るな」と反発の声をいただきました。でも、校閲としては許しがたい。新聞記事で引用する場合、そのまま記すか直すかで深刻なジレンマにさらされるのです。「ママ」と付記して原文のままにすればいいという意見も多数ありましたが、新聞ではそういう対処はしていません。
ですから、そのまま記すか、あえて直すかで各紙の対応が分かれることもありますし、同じ新聞でも前の版と後の版では違うこともあります。
10月27日の毎日新聞夕刊では早版で「慎んで心から哀悼の意を表します」だったのを、協議のうえ後版で「謹んで……」に直しました。ところが、その経緯をツイッターで発信したところ、「遅版」となるべき漢字を「遅番」と誤ってしまいました。先のフロイトの説ではありませんが、「早く書き終えてしまいたい」という焦りがあったのかもしれません。
首相官邸のサイトから抜粋
「漢字の使い分けときあかし辞典」(円満字二郎著、研究社)にも「他人を重んじる場合には、その意味合いをはっきりさせるために、《謹》を用いる」とあります。「慎んで」が「謹話」としての字にふさわしくないことは明らかです。
実は首相談話の「慎んで」のおかしな使い方はこれが初めてではありません。例えば
遠い戦場に、斃れられた御霊、戦禍に遭われ、あるいは戦後、遥かな異郷に命を落とされた御霊の御前に、政府を代表し、慎んで式辞を申し述べます。15年8月15日 全国戦没者追悼式式辞
本日ここに、天皇皇后両陛下の御臨席を仰ぎ、全国戦没者追悼式を挙行するにあたり、政府を代表し、慎んで式辞を申し述べます。16年8月15日 全国戦没者追悼式式辞
と、ここ2年の戦没者追悼式の首相の式辞に「慎んで」が使われました。
ちなみに野田内閣(12年6月6日)や小泉内閣(04年12月18日)の時の謹話には「謹んで」が使われています。
フロイトの「精神分析学入門」では、言い間違いや書き間違いと、本人の深層心理との関連が述べられています。いや、安倍首相が本心では「謹んで」ではなく「控えめに」という気持ちがあるから「慎んで」の字となって表れた――なんて邪推するつもりはありません。第一、首相みずから書くとはとても思えませんから。しかし誰が書いたにせよ、間違いが発生する場面のフロイトの分析は参考にしてもよいかもしれません。
よくみられる書きまちがいは、一般にそれを書くことに気のりがしていないこと、または早く書き終えてしまいたいという焦慮があることを暗示しています。(懸田克躬訳、中公文庫。一部略)
いずれも、ブログやツイッターで取り上げましたが、「細かいことで揚げ足を取るな」と反発の声をいただきました。でも、校閲としては許しがたい。新聞記事で引用する場合、そのまま記すか直すかで深刻なジレンマにさらされるのです。「ママ」と付記して原文のままにすればいいという意見も多数ありましたが、新聞ではそういう対処はしていません。
ですから、そのまま記すか、あえて直すかで各紙の対応が分かれることもありますし、同じ新聞でも前の版と後の版では違うこともあります。
毎日27日夕刊の遅版(左)と早版
10月27日の毎日新聞夕刊では早版で「慎んで心から哀悼の意を表します」だったのを、協議のうえ後版で「謹んで……」に直しました。ところが、その経緯をツイッターで発信したところ、「遅版」となるべき漢字を「遅番」と誤ってしまいました。先のフロイトの説ではありませんが、「早く書き終えてしまいたい」という焦りがあったのかもしれません。