欅坂46「ナチス風衣装」の世界的炎上、いったい何が問題なのか?

欅坂46ナチス風衣装」の世界的炎上、いったい何が問題なのか?
アイドルはこうして政治色を帯びていく

欅坂46」のコスチューム騒動

日本の女性アイドルグループのコスチュームが世界的に物議を醸している。
欅坂46」が、10月22日に横浜で行われたハロウィーンコンサートにおいて、ナチス・ドイツの軍服(制服)に似たコスチュームを着用。これがSNS上で問題視され、海外メディアにも波及し、31日、ついに米国のユダヤ系人権団体「サイモン・ヴィーゼンタール・センター」が謝罪を求める声明を出すにいたったのである。
これに対する対応は早かった。11月1日、「欅坂46」所属元の親会社であるソニー・ミュージックエンタテインメントはウェブ上で「認識不足」だったと謝罪し、プロデューサーの秋元康も「ありえない衣装」だったと同じく謝罪のコメントを発した。
この騒動が今後どこまで大きくなるのかはまだ予断を許さない。だが、現在のところ次のことがいえる。
(1)これまで日本で寛容に扱われてきた「ナチカル」が、情報環境や政治情勢の変化によって、許容されなくなりつつある。
(2)一般論として、政権に近い文化人の作品は批判的に検証されるべきだ。だが、今回の騒動に関しては「認識不足」以上とはいいがたい。これのみをもって政権批判にまで持っていくのは無理がある。
(3)ただし、アイドルと政治の関係は近年東アジアで密接になりつつある。今後の動きは大いに警戒するべきだ。
以下、具体的にひとつひとつ説明していこう。

戦後日本の「ナチズム消費」

まず、戦後日本の特別な事情に言及しておかなければならない。
戦後日本には、マス・メディアを中心に、ナチズムが大衆文化として消費されてきたという歴史がある。佐藤卓己はこれを「サブカルチャー」の1ジャンルとして「ナチカル」と名付け、分析している(『ヒトラーの呪縛』単行本2000年、文庫版2015年)。
日本は、ナチス・ドイツの同盟国だったとはいえ、ユダヤ人虐殺などに直接加担しておらず、ナチズムに対する忌避感がそれほどない。ドイツなどのように、厳しい取り締まりもない。そのため、ナチズムは「悪の象徴」としてサブカルチャー全般において気軽に使われてきた。
前掲書によれば、その範囲はきわめて広い。
・新聞報道における「ヒトラーというレッテル」
・文庫本を中心に翻訳される「ナチ冒険小説」
・劇場映画で作られるナチ・イメージ
・ロック音楽に寄り添うヒトラーの影
・軍事オタクの必須アイテムであるプラモデル
・「ヒトラー・マンガ」とコミケコミックマーケット)文化
ユダヤ陰謀論からUFOまでオカルト世界の「トンデモ・ナチズム」
・純文学や戯曲から中間小説まで日本文芸におけるナチ受容
・ビジネスマン文化となった新書版架空戦記
・WWWで拡大した電脳ナチズム
具体的な作品名をあげれば、『宇宙戦艦ヤマト』『機動戦士ガンダム』『キン肉マン』『鷲は舞い降りた』『わが友ヒットラー』『紺碧の艦隊』『20世紀最後の神話』など。「ナチカル」の幅広い影響がうかがい知れる。
こうした「ナチカル」はときに社会問題ともなった。だが、その多くは見過ごされ、現在に比べれば平穏に消費されてきた。
今回のコスチューム騒動について、「欅坂46」の関係者は、ナチス・ドイツの軍服との関係を否定している。とはいえ、ああいう「ナチス・ドイツっぽい」コスチュームが気軽に、無意識に使われてしまうことこそ、まさに「ナチカル」の例である。
仮にナチス・ドイツの軍服を参照していたとしても、これまでの「ナチカル」の延長線上で、まさかここまで問題になるとは思っていなかったのではないか。
しかるに、今回は「炎上」騒動に発展した。いまや「ナチカル」は急速に許容されなくなりつつあるのだ。
その理由はふたつ考えられる。

時代の変化と「ナチカル」の限界

ひとつは、情報環境の変化である。SNSの普及により、どんな情報でもすぐに拡散されて「炎上」し、場合によっては海外にまで波及してしまう。これでは、日本固有の事情は通用しなくなる。
もうひとつは、政治情勢の変化である。現在世界では排外主義が広がっている。日本でも、レイシストの集団がハーケンクロイツを掲げて街頭デモを行ったことがある。こうしたなかで、ナチズムの消費はもはやブラックジョークとしても成り立ちにくくなっている。
実際、2014年に韓国でも同じような騒動があった。「PRITZ」というアイドルグループが、ナチス・ドイツの軍服風のコスチュームを着て、批判されたのである。
よく見れば、「欅坂46」のコスチュームにハーケンクロイツはない。ナチの軍服や制服と似てない点も多々あげられる。今日のように、政治情勢が険しくなく、SNSのようなツールもなければ、ここまで問題化していなかったかもしれない。
それに加え、「欅坂46」があまりにメジャーで目立ったグループであること、今回のコスチュームにあまりに必然性がなかったことなども「炎上」の一因だろう。要するに、あれだけの大組織の運営にしては、あまりに不用意だったということに尽きる。
時代が急速に変化するなかで、「ナチカル」もまた曲がり角に来ている。今後の情勢いかんによっては、似たような騒動が起きる可能性も否定できない。
個人的には、ナチス・ドイツの所業について十分な知識が共有され、排外主義の運動など起こらず、ブラックジョークも苦笑とともに放置してもらえるほどに、啓蒙された社会こそ理想だと考える。
だが、趣味とて社会の相関物だ。遺憾ながら、いまの状況下では問題視されるのはやむをえないし、これ以降はより注意深く扱っていかなければならなくなるだろう。

安倍政権批判はさすがに無理筋

今回のコスチューム騒動は、現在までの情報を見る限り、単に「認識不足」の結果であると考えられる。当事者たちに何かの信念があったならば、また議論の余地もあっただろうが、実際はそうではあるまい。
サイモン・ヴィーゼンタール・センターの抗議にあわててすぐに謝罪して幕引きを図った。この対応がすべてを表している。
しかし、今回の騒動を通じて、政権批判にまで持っていく向きもあるようだ。プロデューサーの秋元康は安倍政権と近しい。だから、そのコントロール下にあるアイドルの行動にも、何らかの政治的な意図があるのではないかというわけだ。
また、「欅坂46」の楽曲「サイレントマジョリティー」(2016年4月発売)のPVの一部が「ナチ式敬礼」に見えることなどをあげて、全体主義的な思想を継続的に広めようとしているとの批判も見られる。
たしかにプロデューサーの秋元康は、クールジャパン推進会議の議員や、東京オリンピックパラリンピック組織委員会の理事を務めている。安倍政権との関係は決して浅くはない。
そして一般論として、このように政権と近い距離にある文化人が関わる作品は、特に批判的に検証されるべきだ。癒着の可能性があるし、文化芸術を使って政治宣伝を行う可能性もあるからである。
とはいえ、今回の「欅坂46」のコスチュームに政治的な意図があったとは考えにくい。女性アイドルがナチス・ドイツの軍服らしきものを着て踊ったからといって、何の意味があるというのだろう。むしろ、実際にそうなったように、「クールジャパン」政策にとってマイナスの効果しかない。
繰り返すが、政権に近しい文化人に対する批判的な検証は大いにやるべきだ。だが、今回のコスチューム騒動のみをもって政権批判にまで持っていくのは、さすがに無理筋だと思われる。
念のためいえば、「サイレントマジョリティ」PVの「ナチ式敬礼」批判もかなり無理がある。どう見ても、一連の動作の一部分を切り取ったにすぎない。そもそも同曲の歌詞は、同調圧力に対する批判と読み取れる。これを全体主義的な思想の宣伝と捉えるのは、明らかに飛躍である。
無理筋の批判は、かえって批判の矛先を鈍らせる。本当に問題があるものが出てきたときのために、その矛先は大事に磨いておいたほうがよい。

中国、韓国、北朝鮮でも…

むろん、アイドルと政治の関係には警戒が必要である。というのも、東アジアにおいてこの両者は急速に結びつきつつあるからだ。
北朝鮮では、金正恩第一書記(当時)の肝いりで、2013年にガールズグループ「モランボン楽団」が結成された。彼女たちは、固くなりがちなプロパガンダ曲を現代風にアレンジし、国内外で大きな反響を巻き起こした。
中国でも、2015年に事実上の官製アイドルグループである「56輪の花」(フラワーズ56)が結成され、「中国の夢はもっとも美しい」などの愛国歌を様々なイベントで披露している。「中国の夢」は、習近平国家主席が唱えるスローガンのひとつである。
また、SNH48は、2016年10月の国慶節(建国記念日)を前に、「私と私の祖国」という愛国歌を現代風にアレンジしたMVを発表した。「私と私の祖国は片時も離れられない」という内容だ。
ちなみにSNH48は、秋元康のプロデュースで2012年上海に誕生したアイドルグループだが、2016年6月にAKB48グループを離れて独立し活動している。
そのほか、韓国ではK-POPのアイドルによる慰問公演が行われ、兵役のイメージアップのため、K-POP風の軍歌(「自分を超える」)も作られている。台湾でもかつてはアイドルの慰問公演が行われていたようである。

政治とアイドルの関係には警戒せよ

由来、プロパガンダは最新の娯楽を取り込もうとする。楽しくなければ、民衆を引きつけることができず、効果をあげられないからだ。
筆者はこうした動きをかつて「楽しいプロパガンダ」と名付けた。昨今のアイドルブームに鑑み、為政者がアイドルを取り込もうとしてもそれほどふしぎではない。
幸いに、日本は以上の国々ほど露骨にアイドルが政治利用されているわけではない。慰問の例もなくはないが、多くは自衛隊の募集ポスターやCMに使われている程度だ。
だが、押田信子が『兵士のアイドル』(2016年)で明らかにしたように、アジア太平洋戦争下の日本ではアイドルが戦争動員に利用されたことがある。アイドルは、慰問公演や慰問雑誌などを通じて、兵士のメンタルケアに使われたのである。
それゆえ、現代日本で政治とアイドルが再び結びつく可能性はゼロではない。まして巨大なアイドルグループを率いる秋元康は、安倍政権ときわめて近しい。今回のコスチューム騒動は「認識不足」にすぎないと思われるが、今後はどうかはわからない。継続してウォッチしておく必要がある。
コスチュームが本物の軍服や制服となったとき、歌詞が「同調圧力」を肯定するようになったとき、あるいは国策イベントに動員されるようになったとき──。もっと明白なサインはいくらでもある。
今回のコスチューム騒動を通じて、政治とアイドルの関係にもっと注目が集まれば、もっけの幸いである。