この20年ほど、「頭がいい」という言葉の意味が「バラエティ番組のスタジオで発揮されるタイプのパニック対処能力」「当意即妙の受け答え」あたりに限定されてきている感じはする。逆に言えば「思慮深さ」「思考の


「頭がいい」という言葉の意味は、その対象や場面や文脈によって大幅に異なる。簡単に定義することはできない。
ただ、この20年ほど、「頭がいい」という言葉の意味が「バラエティ番組のスタジオで発揮されるタイプのパニック対処能力」「当意即妙の受け答え」あたりに限定されてきている感じはする。逆に言えば「思慮深さ」「思考の射程の長さ」「多面的な思索を検討する能力」みたいな資質は、むしろ「アタマの悪さ」に分類されている。
 で、ホリエモンだとか橋下徹だとか立花孝志みたいな、「とっさに繰り出してくるボキャブラリに破壊力がある論者」が珍重されるわけだね。インテリとヤクザが口論をすれば、必ずヤクザが勝つ。頭の出来不出来の問題ではない。口論の能力と技巧は、ヤクザの専門分野だ。論文で勝負すればインテリが勝つ。しかし、そんなことに意味はない。
つまり、21世紀のメディアにおける「頭の良さ」は、ヤクザライクな口論の手練手管だということだね。