被害者がご免なさいを言わなければならない圧力を感じる社会。しかも生まれて10年も経っていない様な子供がこういう風にしている。昔のアメリカの深南部の黒人の子供が白人達に謝っているみたいな光景。しかし、こ

満員電車の終点で戸袋に手が挟まれて半泣きの小学生の女の子がいた。ドアが半分開いた状態。早く係員を中に入れて救助させるべきだが通さないで無視して降りていく大人達。私が怒鳴って止めるまで半分しか空いていないドアから降りる人の波は止まらなかった。なんでこうなのだ。冷たい社会。冷和。しかし、私が怒鳴ってみんなが止まった時に気がついた。こいつら、怯えている。もし私がかよわい女性だったら、誰も止まらなかったかもしれないと思った。あるいは降りようとしている中に暴力団の人とかいたら、面倒くさい事件になったかもしれない。そう思ったら、何も言えずに何もなかった様に出て行く人達の気持ちも少しはわかった気がした。もし全員がその子を助けることが優先だと当たり前に考える社会なら、問題ないが、多くが見放す社会だと行動により勇気が必要になってしまうのかもしれないと思った。子供が助けられ、その子は泣くのを耐えながら半泣き状態で降りた。大丈夫かと聞いたら、その子の答えはなんと、ごめんなさいの連発だった。私だけにではなく待たされた皆に謝っていた。驚いたが、これが日本なんだと思った。他のどこの国でもあり得ないのでは無いかと思った。被害者がご免なさいを言わなければならない圧力を感じる社会。しかも生まれて10年も経っていない様な子供がこういう風にしている。昔のアメリカの深南部の黒人の子供が白人達に謝っているみたいな光景。しかし、この凄さを説明しても、もしかしたら日本の多くの人には伝わらないのかもしれない。