自己肯定感が著しく低いため、誰か「自分より下」を設定して、それを常に攻撃していないと自我が崩壊するような人が少なくないのだよね。良識を嘲笑ったり冷笑したりそれに逆張りするのも、承認欲求を満たして自我を

丸山穂高の一件で良かった点があるとすればそれは、戦争を望む(少なくとも忌避しない)日本人の存在を可視化できたことだと思う。反戦の主張に対して「侵略された場合はどうなる」「戦争は起こすものではなく起きるものだ」と冷笑する人が少なくないのだが、この件がそれに対する回答となっている。自己肯定感が著しく低いため、誰か「自分より下」を設定して、それを常に攻撃していないと自我が崩壊するような人が少なくないのだよね。良識を嘲笑ったり冷笑したりそれに逆張りするのも、承認欲求を満たして自我を保つためなのだろう。承認欲求自体は誰にでもあるのだがその表出が不健全なんだよね。