「イエスマン」をつくり出した就活の罪は大きい 思想家・内田樹の助言



イエスマン」をつくり出した就活の罪は大きい 思想家・内田樹の助言



にもかかわらず大学にあえて「即戦力」を求めるのだとすれば、ここで求められているものは具体的な知識や技能ではなく、むしろある種の「心性」だということを意味している。 それは「イエスマンシップ」である。どのような理不尽で無意味な業務命令であっても、上司の指示には抗命しない、質問もしない。どんな命令にも「イエス」と即答する、そういう従属的なマインドセットを企業は求めている。 それならどんな教育機関でも教えられる。学生に理不尽で無意味なタスクを強制して、「これになんの意味があるのか?」と教師を問い詰める学生を低く評価し、何も聞かずに黙って教師の指示に従う学生を高く評価する。それならどんな教育機関でもできる。 だから、いま大学で「キャリア教育」という名の下で行われているのは「エントリーシートの書き方」「面接の作法」というような実務レベルをとうに超え、「お辞儀の角度」とか「ノックの回数」とか「業種別化粧の仕方」というまったくナンセンスなものになっている。そういうことが「ナンセンスだ」と思う学生を排除するスクリーニングとしてはよくできた仕組みである。就活のもう一つの目的は学生たちの自己評価を切り下げることである。何十社にも落ち続けると学生たちの自己評価は下がる。 そのうち「採用してもらえるなら、どんな雇用条件でもいい、どんなハードワークでもいい」というところまで気弱になる。今の新卒一括採用システムは意図的に求職者が浮足立ち、恐怖心を持つ仕組みをあらかじめ作り込んでおいて、劣悪な雇用条件を「丸のみ」するように仕向けている。