渋沢栄一の新紙幣肖像に「韓国に対する配慮が欠けているのでは」聯合ニュース報じる



渋沢栄一の新紙幣肖像に「韓国に対する配慮が欠けているのでは」聯合ニュース報じる

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190409-00000116-sph-soci


聯合は「日本政府が渋沢の肖像を1万円札に入れようとしているのは、安倍政権の歴史修正主義が反映されたと考えられる」と指摘。「韓国に対する配慮が欠けているのではないかという批判が韓国のみならず、日本国内でも出て来るのではないだろうか」としている。


渋沢栄一の新1万円札採用を批判

韓国メディア「収奪の主役」
有田芳生さんが共同通信公式をリツイートしました
日韓近代史の常識です。これまでプランがあっても採用されなかったのは、良識が働いていたからでしょう。歴史修正主義者たちらしい決定です。ま、麻生さんはご存知ない歴史でしょうけどね。
Shin HoriさんがYahoo!ニュースをリツイートしました
渋沢栄一の業績
1. 古河市兵衛による足尾銅山開発に出資して支援→銅の鉱毒による公害を引き起こす
2. 企業を規制して工場労働者を保護するための"工場法"(=労働基準法の前身)の制定に激しく反対して10年以上遅延させる
渋沢はロスチャイルドの番頭として、日本に資本主義を導入したことで有名です。
そういう人を最高額紙幣に採用する日本は、いつまで欧米の属国なんだろうか。

「新一万円札の渋沢ってどこかで見たなー」と思ったら、韓国を併合する過程で日本が彼の地で1902年より発行した、株式会社第一銀行券という紙幣であった。図は日本貨幣商協同組合『日本貨幣カタログ』2001年版より。

安藤 直樹(ando naoki)さんが無免許をリツイートしました
1876年の日朝修好条規の締結から2年後に、日本資本主義のフロンティア、渋沢栄一が釜山に第一国立銀行の支店を開設する。そしてその後急速に、朝鮮の貨幣経済体制そのものを日本の金融資本が牛耳っていくことで、日本による朝鮮の植民地支配への実質的基盤を固めていったわけですね。今回、新紙幣の肖像とされる渋沢栄一1878年、日本による朝鮮半島の金融部門における帝国主義的支配の先兵として、釜山に「第一(国立)銀行」の支店を開設する。

詳細はこちらの論文を参照のこと。

「第一(国立)銀行の朝鮮進出と渋沢栄一
「私が朝鮮に銀行支店を設けたのは明治九年か十年頃であった。之は自分から進んで出したと云うより政府から誘われたからであった」(渋沢栄一「韓国全土を挙げて我が利益線の圏内に置き、以て彼我の権益を保全すること当今の一大急務なりと考ふるなり」
渋沢栄一渋沢栄一は1902年「第一銀行」が朝鮮で「第一銀行券」を発行するという「通貨発行権」を得て、朝鮮半島の通貨経済自体を支配しはじめる。そして、1910年の「韓国併合」の前年、1909年には「第一銀行韓国総支店」を朝鮮の「中央銀行」として認めさせ、事実上の日本による朝鮮植民地化を達成する。1902年.朝鮮半島で発行された渋沢栄一を肖像とする「第一銀行券(壱円)」と今回、安倍政権が新紙幣として発表した「1万円札」。








渋沢栄一朝鮮半島を「第一国立銀行朝鮮銀行)」によって「金融支配」していくと同時に行ったのは、