権力者は、自分の子供は特権で免除できるとわかってるので、徴兵に賛成です。

徴兵制があっても入営するのは一部の人だけ、と思われています。しかし徴兵制に伴う国民皆兵とは、軍隊や国家が必要な時に誰でも軍隊へ召集できるということです。政府が気に食わない人物を召集し、世間から隔離することも可能です。戦時下の懲罰召集の実例をどうぞ。

徴兵制導入をしつこく主張される方がいますので、こちらもあらためてツイート。日本の戦時下の徴兵制度は恣意的な運用の入る余地があり、政府が気に食わない人を召集する懲罰召集があった事実も忘れてはいけないでしょう。

戦時下にメディアの意地を見せた毎日新聞「竹槍事件」―国が亡びるかもしれないという時、黙っておれなかった




このふたつの記事は戦争の批判ではなく、現状を肯定したうえでの筋が通った提言記事にすぎません。それでも政策に対しこうした直言をすることさえはばかられていたのが戦時下の現実で、検閲では通らないと考え、海軍省担当キャップの記事は事前検閲不要という紳士協定を利用した作戦でした。案の定、この記事を読んだ東条首相は激怒し、直ちにこの日の紙面を発禁とし、続いて毎日新聞の廃刊を命じようとします。 東条首相に呼ばれた内閣情報局の村田五郎次長は、紙の配給を停止するだけなので廃刊にするのは簡単としつつ「あのくらいの記事で廃刊となると、世論の物議をかもす、ひいては外国から笑われることになるでしょう」といさめました。この結果、廃刊は免れますが、記事を執筆した37歳の新名丈夫記者が陸軍に召集されます。あからさまな懲罰召集です。これを知った海軍が報道班員として徴用して救出します。 新名記者は後年「その時は心ひそかに死を決意して書いたのである。社もつぶされるかもしれないと思った。それでも国が亡びるかもしれないというとき、黙ってはおれなかった」と記しています。吉岡文六編集局長は新名記者の進退伺いを突き返し、次長とともに辞任することで新名記者を守ろうとしています。本当はもっと早くできなかったかとの思いはありますが、戦時下、あらゆる制限で縛られた新聞人が、その信念を発揮した事件として記録するに値します。


返信先: さん

この懲罰徴集を受けた新名丈夫記者が書いた顛末記が「沈黙の提督井上成美 真実を語る」(新人物文庫)という本に採録されています。


この次に続く最後の2行を新名氏がどんな思いで書いたのか、想像するだけで悲痛な気持ちになります。


返信先: さん、さん
権力者は、自分の子供は特権で免除できるとわかってるので、徴兵に賛成です。

逃げられない庶民の子を海外派兵に行かせるんでしょうね。

南スーダンで戦死した50人はジサツで処理されましたね。日報を隠しましたよね。この人。

徴兵制について。昭和2年(1927)までは、お金を払って兵役期間を短縮できる制度がありました。もっと前は兵役免除となる時期もありました。こちらは入営中の経費を負担することで2年の兵役を1年にする一年志願兵への申請書類と選考結果。現在の長野県塩尻市の方です。