日本では「フィクションたらしめ、現実と峻別させる」役割を果たすための『戦う少年少女』ですが、現実の少年兵『戦う少年少女』は悲惨極まりないものです。現実の軍事組織の広報にフィクション作品の「戦う少年少女

あと、アニメで「どう考えても少年兵」と云うヤツを主人公にするのと、公的機関が「どう考えても少年兵にしか思えないアニメの主人公」を宣伝に使うのとでは、話の意味合いが違う
向川まさひでさんが長 高弘をリツイートしました
20年以上前ですが、フィクションにおける戦争描写に関して「ガンダム」などのように、「主人公の少年少女が戦争(やそれに近い状況)を戦い抜く」というストーリーがなぜ多いのか、という議論がありました。

第一にして最大の理由は「主たる受け手の年齢層に合わせ、訴求力が高い」というもので、

第二には、「『戦争』を、少年少女たちの『冒険』譚に転化することで、国家や軍隊の問題性や戦争やのドロドロした側面を捨象しやすくする」という物語上の理由で、論者はこの点を「戦争ロマンチシズム」として最も問題視していました。

第三には「これはフィクションである」というメッセージ役割で、


戦う(美)少年(美)少女、ロボットや超兵器という荒唐無稽な存在を前面に立てることで、フィクション性を強調し、戦争や破壊の描写にリアリティの縛りを弱め、またそれらをエンタメとして楽しむということに対する受け手や社会の抵抗を軽減し、より広く訴求しようという、一種の予防線の役割です。


日本では「フィクションたらしめ、現実と峻別させる」役割を果たすための『戦う少年少女』ですが、現実の少年兵『戦う少年少女』は悲惨極まりないものです。現実の軍事組織の広報にフィクション作品の「戦う少年少女」を使うことは、フィクションと現実の境界と言う角度でも慎重であるべきと思います。


この二番目の点については、かつて富野由悠季氏がその問題点も含めて作劇上の理由として語っていたと思います。宇宙世紀シリーズの長きにわたる謎の一つが「地球連邦」の組織・具体像がわからないことだったり。三番目の理由は「マクロス」のスタッフの方も類似の理由を語っておられたと記憶しています


返信先: さん、さん

個人的には、そうした予備知識を身に付けた上で「戦争エンターテイメント」を消費する事に問題はなかろうと思うが、自分に周辺でも「困った認識に染まる」事例が少なく無いので、コレが杞憂では無いというのは実感としてあるな。
返信先: さん、さん
ミリタリーネタを楽しんでいた集まりで、あくまでネタとして楽しんでいたはずが、現実の軍隊や戦争にまつわる事件や話題が生じたときに、評価にバイアスがかかってしまう人が少なくない、という事例は私も直接見てきました。