ヒトラーだけが悪人か ホロコーストに加担した普通の人たち 『ちいさな独裁者』

ヒトラーだけが悪人か ホロコーストに加担した普通の人たち 『ちいさな独裁者』


「常軌を逸した一人の人物=ヒトラーだけが恐るべき破滅を招いたという描き方だ。秘書という『良いナチス』が登場することにも、とても憤りを感じる。実際はほとんどの人たちは当時、立ち上がったり抗ったりせず、ただどっちつかずの形で生きただけだ。立ち上がった人の多くは亡くなったし、彼らの映画を作るのは何も悪いことではないが、人はそうしたヒーロー的人物になりたがり、倫理的な視点を持った人物と自分を重ね合わせて見る方が楽だと感じる。そんな風に安心して見られる映画など作りたくなかった。歴史はそうはなっていないのだから」耳の痛い話だ。「もし私たちが血にまみれた歴史を忘れ、 なりたい人間像に自分自身を当てはめて安らぎを得たら、非常にもろい状態になる。あやまちを防げるのは自分自身に正直な場合だけで、忘却を決して許してはいけない。奈落の底を覗き込み、どれだけ身近に起きたことなのか知る必要がある。ある意味、この映画は予防薬だ」

■「ただ巻き込まれただけ」という神話



シュヴェンケ監督は旧西ドイツ出身。幼い頃は、戦時中について「神話とともに育ってきた」と言う。「普通の兵士は虐殺にかかわらず、戦争にはただ巻き込まれただけ、前線で生き延びようとしただけだったという風に、学校でも教わる。よくわかっていたはずの両親も、私にそう伝えていた」だが、特に冷戦後、ドイツ兵捕虜が撮っていた知られざる写真が旧東側諸国のロシアやポーランドなどのアーカイブから発掘・公開され、見方が変わってきたという。「普通の兵士が、殺害された人々が横たわる前でハイタッチをしている様子が写っていた。ドイツで大きな議論を巻き起こした」

「今の独裁者は、民主主義をないがしろにするために全体主義を掲げたりする必要がなくなっている。選挙にも勝つし、民主主義を形だけ存在させるリップサービスだってできる。プロパガンダのための宣伝省を持つ必要もない。自由に報道させた末に、それを市民の敵に仕立てればいいからね」。確かに、多メディアが林立するネット時代、為政者が自分を持ち上げてくれる報道だけを「正しい」と連呼すれば、当時のように手間をかけてプロパガンダ映画を作ったりする必要はない。