民主主義国では正当な権利獲得の闘争手段として認められている「ストライキ」も、日本ではある時期から「ただの迷惑行為」としか認識しないよう誘導されてきた。本来は結束して強者に立ち向かうために創られたはずの

民主主義国では正当な権利獲得の闘争手段として認められている「ストライキ」も、日本ではある時期から「ただの迷惑行為」としか認識しないよう誘導されてきた。本来は結束して強者に立ち向かうために創られたはずの「記者クラブ」が、今は強者の手下として弱者をいじめる本末転倒の状況になっている。今の日本では「抵抗のための結束」という図式が社会からほとんど失われ、国民はバラバラに切り離されているが、かといって「個人」として自立しているわけではない。ただバラバラの砂粒として全体に従うだけ。個人ではないバラバラの人。支配欲の強い権力者から見れば、これほど都合のいい状況はない。




ハンガリーでは、警察官も結束して自分たちの権利を政府に要求する。民主主義の危機という点で、日本もハンガリーも似た展開になっているが、ハンガリーの方がまだ民主主義の成熟度では上かなと思う。日本ではある時期から「抵抗のための結束」という図式が社会から失われた。

「奴隷法」に揺れるハンガリー、警官2300人が年5万時間分の残業代要求

http://www.afpbb.com/articles/-/3203441