「証言は証拠にならない」ってネトウヨが慰安婦の被害や南京虐殺を否定するときに持ち出すお馴染みのアレ。証拠を疑う懐疑主義って一見正しい態度に見えるけど、デカルトのコギトの定式みたいに疑おうと思えば自己の



「証言は証拠にならない」ってネトウヨ慰安婦の被害や南京虐殺を否定するときに持ち出すお馴染みのアレ。証拠を疑う懐疑主義って一見正しい態度に見えるけど、デカルトのコギトの定式みたいに疑おうと思えば自己の存在以外全て虚妄と言うこともできるので、そういう懐疑主義を自分の信じたくないことに対してのみ選択的に適用すると、事実から無限に離れた願望の世界に逃避できるんだよね。それを端的に実践したのが小林よしのり慰安婦の被害証言や南京虐殺の目撃証言を「証言は証拠にならない」という謎理論で全て否定した上で、加害を否定するのに都合の良い日本兵らの証言はぶっ通しで採用するっていうサルでも気づくような詐術で、日本何も悪いことしなかった史観をぶり撒いた。

ネトウヨって自分が不利に追い込まれると、最後は不可知論に逃げ込みますよね。