アメフトのタックルの問題は、たしかに安倍首相の案件と似たところがある。言葉の意味についてである。長く権力の座にいる者の語る言葉と、戦う側にいる者の言葉とでは、同じ言葉でも、意味は変わってしまう。たとえ



さて、枝野氏が言っていたのとは別の意味だが、アメフトのタックルの問題は、たしかに安倍首相の案件と似たところがある。言葉の意味についてである。長く権力の座にいる者の語る言葉と、戦う側にいる者の言葉とでは、同じ言葉でも、意味は変わってしまう。たとえばの話、「クォーターバックを潰せ」という監督の言葉は、勇気を必要としている戦う者には至言だが、権力者に従う弱者にとっては指令となる。指令に従わぬ者に先はないのだ。長く権力の座にいることが、言葉の意味を変えてしまう。安倍首相において起こっていることも、似た傾向があるたろう。結果として、首相の側近たる官僚は、首相の言葉を過剰に受け取った。それで、後ろからタックルするような形で、現場で戦う地方公務員を追い詰めたわけである。ただし、似ていないのは、タックルした学生は人生をかけて謝罪し、定年間近の大人は知らぬ存ぜぬで逃げ切りを図っていることである。あのタックルした若者は、おのれの卑劣さについて、たしかに謝罪をした。監督の言葉の解釈について、たとえ考慮の余地はあるとしても、謝罪すべきと彼自身が考えたのだ。それがいま、安倍首相以下、エリートたちに生じているのは、醜い逃亡でしかない。彼らには、なにも感じるところはないのだろうか。