『「日本の伝統」の正体』言葉の魔力に振り回されないために」西野 智紀

『「日本の伝統」の正体』言葉の魔力に振り回されないために」

西野 智紀

「日本の伝統」の正体


商品の説明

内容紹介

★「初詣」は江戸時代になかった? ★「江戸しぐさ」のいかがわしさ ★神前結婚式は古式ゆかしくない ★「古典落語」は新しい? ★恵方巻は、本当はいつからあったのか? ★アレもコレも「京都マジック」! ★初めて「卵かけご飯」を食べた男とは? ★サザエさんファミリーは日本の伝統か? ……一見、古来から「連綿と続く伝統」のように見えるしきたりや風習・文化。しかし中には、意外に新しい時代に「発明された伝統」もある。もっともらしい「和の衣裳」を身にまとった「あやしい伝統」と、「ほんとうの伝統」とを対比・検証することで、本当の「ものの見方」が身につく一冊。 フェイクな「和の心」に踊らされないための、伝統リテラシーが磨かれる!

内容(「BOOK」データベースより)

「日本の伝統」はいつ、いかにして創られ、私たちはどのようにして、受け入れてきたのか?初詣、神前結婚式、恵方巻ソメイヨシノ、大安・仏滅、三世代同居―フェイクな「和の心」に踊らされないための、「伝統リテラシー」が身につく一冊!

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

藤井/青銅
23歳の時、第1回「星新一ショートショート・コンテスト」入賞。これを機に作家・脚本家・放送作家としての活動に入る。メディアでの活動も多岐にわたる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
たとえば正月。無病息災などを祈念するため、初詣に行かれる方は多いだろう。この風習、なんとなく大昔からあるような感じがするが、実は誕生は明治中期である。1872年、東海道線開通が開通し、川崎大師へのアクセスが容易になる。川崎大師は江戸から見て恵方にあたり、行楽も兼ねて参詣に行く人が急増し、特に1月21日の縁日(初大師)は大盛況となった。とはいえ、恵方は5年に1回しか来ない。当たり前だが鉄道会社としては毎年来てくれたほうが儲かる。そこで、大晦日から寺社に籠って元日を迎える「年籠り」、年明けはじめての縁日に参詣する「初縁日」、居住地から見て恵方にある寺社を参詣する「恵方詣り」といった古来からの行事を組み合わせ、縁日も恵方も関係ない「初詣」をつくりあげ宣伝文句としたわけだ。もう少し正月つながりでいくと、「重箱のおせち」もかなり新しい伝統だ。おせちは「お節」と書き、祝いの席の料理として奈良時代から存在したが、正月のおせちを重箱に詰めるようになったのは幕末から明治にかけてで、戦後、デパートの販売戦略によって定着した。恵方や食べ物、商売努力の話で思い出されるのが、恵方巻だ。恵方とはもともと陰陽道の言葉で、『蜻蛉日記』(975年)にも出てくるくらい古いが、恵方巻自体は20年程度の歴史しかない。「節分に恵方を向いて巻き寿司を食べる」風習は戦前から戦後にかけて大阪の寿司・海苔業界が大宣伝したことによって関西の一部地域には広まっていたが、これを1989年にセブンイレブンが取り入れて大ヒットを記録。98年には「恵方巻」という名で全国展開され、他のコンビニ各社もぞくぞく参入し、現在に至っている。

傘を差した人同士がすれ違うとき、相手を濡らさないように互いの傘を傾ける「傘かしげ」。複数の人が一緒に座るとき、みんなが腰を浮かせて、こぶし一つ分詰めて場所を作る「こぶし腰浮かせ」……。マナーとしてはわからなくもないが、なぜそれを記録した史料が一切ないにもかかわらず「江戸時代からの伝統」と言い張るのか。江戸しぐさの初出は1981年の読売新聞。提唱したのは「江戸講」なるものの伝承者だという芝三光。80年代後半の江戸庶民文化再評価の流れに乗じて、この道徳的しぐさは存在感を増し、現在、NPO法人を中心に、普及が進められているようだ

言葉の組み合わせで迫力が増した例は他にもある。京都という由緒ある場所を利用した「平安神宮」や、「讃岐うどん」「越前竹人形」のような旧国名を冠したものがそうだ。「平安神宮」は、平安なんて付いているくらいだから平安時代からあるような気がするが、実際は1895年に平安遷都1100年を記念して創建された神社である。また、香川の地で古くからうどんが食べられていたのは事実だが、「讃岐うどん」という言葉自体は60年代の誕生で、「越前竹人形」は水上勉が1963年に発表した小説『越前竹人形』が初出だ。新しい伝統は他にもいろいろなところに存在する。いかにも日本っぽい野菜の白菜は1875年に中国から伝わったものだし、パッと咲いてパッと散るさまが日本の美意識を表しているとされる桜・ソメイヨシノは明治生まれ。なにかと話題となる日本の国技・相撲は、興行としては400年ほどの歴史はあるものの、「国技」と呼ばれだしたのは1909年の国技館誕生からである(ちなみに、日本には法令で国技と定められた競技はない)