日航123便墜落の新事実~目撃証言から真相に迫る 青山透子

日航123便事件の追及本読了。

1985年当時の中曽根康弘首相は、死ぬ前に日航ジャンボ機墜落事件の真相を洗いざらい告白すべきだろう。

当時相模湾で行なわれていた自衛隊の演習による無人標的機かミサイルによる撃墜事件であり、米軍の共同での真相隠蔽があったことはほぼ確定した。やっぱりこの本の青山透子(元日航乗務員)の当時の記録にも、事故当日、NHKのニューステロップで「現地救助に向かった自衛隊数名が何者かに銃撃され、死者負傷者が多数出た模様」と本当に出ていたと書いてある。当日は123便墜落前にF4戦闘機2機が同機を追尾している目撃情報が多数あった。

①圧力隔壁から漏れた客室与圧空気が垂直尾翼を吹き飛ばす力はない、客室内も急減圧していない
②現場海域では海自のイージス艦の試運転。テスト対空ミサイル実射で、標的機は米軍機が曳航していた
伊豆半島直前で垂直尾翼が破損し、操縦用の油圧もゼロになったが、直進すれば10分先の浜松基地に向かわず、北に90度旋回し、横田空域に沿って北上し羽田に戻ろうとした不合理性
④北上し富士山を過ぎ、再度90度旋回し、羽田に向かったが、途中の横田基地に着陸せず、直前で北に90度旋回し、入間基地にも着陸せず、また90度旋回し御巣鷹に向かった不合理性⑤機長は海自対潜哨戒機P2Vの元機長;
・ANN機を仮想標的と見立てた空自戦闘機が空中衝突したことを知っている
P2Vは4発機で、油圧全損時に4エンジン間のバランス操作で緊急飛行する訓練をしており、その経験をJAL機でも使った
伊豆半島から10分の浜松基地に着陸したくない理由があったはずだ
 それは横田と入間にもあてはまる
 空自が民間機を仮想標的にしてスクランブル訓練している知識である⑥米軍機がJAL機を追尾しており、御巣鷹上空で1時間旋回していた。
空自F4も1時間後に百里基地から現場に到着している。
入間のヘリもすぐ到着したが引き返したが、夜間照明が無いからだと言い訳して翌朝まで放置。墜落時に生存していた数十名を見殺しにしている。なぜか?