「信仰」から「宗教」へ――吉田兼倶の理論化・体系化によりはじめて「宗教」となった神道
学術的な定義によれば、ある信仰形態が「宗教」として成立するためには、「プラクティス(実践・儀礼)」と「ビリーフ(信条・教義)」の両面を備えていなければならない。井上氏は、古代以来の「神祇信仰」にこの両面を付与し、宗教としての「神道」を確立したのが吉田兼倶であったと説明する。
「吉田兼倶が画期的だったのは、『唯一神道』として神道理論を体系化したことです。儀礼体系としての神祇道は古代から同様に続いているのですが、中世に入って『神々についての思想的解釈である神道(神道教説)』が生まれ、それを統合するかたちで『吉田神道』が成立しました」
http://iwj.co.jp/wj/open/wp-content/uploads/2016/12/161123_352464_01.png ▲京都市左京区の吉田神社境内にある斎場。吉田兼倶の構想により、1484年に建てられた(写真:Wikipedia)
吉田兼倶は、『唯一神道名法要集』という書物で、『古事記』『日本書紀』に記述された天皇神話に対して思想的解釈を行い、神道教説を体系化した。7世紀後半に創出された「プラクティス」にこうした「ビリーフ」が加わることで、中国の仏教とは異なる宗教としての「神道」が、日本史上初めて成立したのだ。
対外侵略の肯定へと向かった「神道」~幕末における「国体論」の萌芽
中世において、ようやく宗教としての条件を整えた「神道」だったが、近世に入ると時代の波に揺さぶられて、再び変化を余儀なくされることとなった。