2015年3月1日付産経新聞の記事で、主題は日本軍の英領マラヤ侵攻についての英軍情報機関による分析報告
2015年3月1日付産経新聞の記事で、主題は日本軍の英領マラヤ侵攻についての英軍情報機関による分析報告。英軍情報機関は、非正規戦の成果について報告しているだけで、政治的側面については何も触れていないが、産経は「この成功例は日本軍の『アジア植民地解放』という大義を裏付けるもの」と、全く関係ない戦争正当化の論理に飛躍させている。
まず、情報局刊行『写真週報』1942年8月26日号。
シンガポールの独立を支援したことなど、戦争中一度もなかった。
「シンガポールが昭南市に生まれ変わってから、はや半年たった」
名前がシンガポールのままで日本の領土に組み込むと「イギリスから植民地を奪い取っただけ」になるが、昭南市として「生まれ変わった」という形式にすれば、植民地を奪ったのではないように見せかけられる。実質を欺瞞している。
こちらは情報局刊行『写真週報』1942年8月12日号。
同じく『写真週報』1942年3月4日号。「昭南島として更正したわが軍港として」「堂々と帝国海軍の根拠地として一威観を加えたのである」
更正、生まれ変わり等の言葉で、シンガポールの「歴史」を断絶させ、日本の侵略と併合の事実を糊塗している。
英領マラヤについてはどうか。電子書籍『タイと太平洋戦争』が掲載された『歴史群像』誌第123号(2014年2月号)に掲載された地図に、東條英機首相がタイ訪問時に「手土産」としてタイに割譲させた、日本軍統治下のマラヤの領土が示されている。
1943年7月、同盟国タイを訪問した東條英機首相は、タイのピブン首相の歓心を買うため、マラヤの領土である四つの州を、タイに割譲しますと申し出た。現地のマラヤ人の意思など一切聞かず、あたかも自分が持っている所有物の一部を他人にあげるような気楽さで、日本の首相はタイへの割譲を決めた。
1943年5月31日の御前会議で承認された「大東亜政略指導大綱」で、日本政府は蘭印(インドネシア)と英領マラヤを「永久に帝国の領土とする」と規定していた。英領マラヤは当時も今も巨大なゴムの産地で、日本政府は「八紘一宇」の大義名分を掲げ、ゴムなど同地の資源を日本のものとして扱った。
2015年3月1日付の産経新聞は、当時全く存在しなかったことを「存在した」かのように歪曲し、歴史を修正している。
以上、戦史/現代紛争史研究家山崎雅弘氏ツイッターより転載させていただきました。